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2009年10月

大学フェアが始まった

 大学祭期間中に、現在行っている研究を紹介するコーナーがある。張り切って申し込んだ。内容をパネルにする。頭をヒネル、どうすれば化学を専門としない方々にわかっていただけるか。そもそも普段化学式などの化学言語になじみのない工学部の先生方に紹介することでさえも至難である。それを文系の方々にどう説明するか。今回は、溶媒を使わない系でのカルボン酸とアルコールの脱水縮合反応でエステルを作る系のお話である。「溶媒ってなに、それってやばいやつ?」「エステル?脱毛・美白の話なの?」「いやそれはエステでありまして、エステルはオイルの・・・」「あ〜アロマオイルね」となっても不思議ではない。なのでこの方式は、ここで〜え「すてる」ことにした。
 そこで思い切って、藤田まことさんに登場願った、必殺仕事人である。「環境調和をめざして:仕事人を開発せよ」反応完了後、仕事人は静かに去り、要請があれば静かに参画する。会場ではここで、バッハ「トッカータとフーガ」を流したい。仕事をした後、いらないものとして水だけがでてきます。こちらが欲しいもので、たとえばバナナの香り成分もこんなものです。「あら洗濯機で脱水するとバナナができるのね?」ますます迷路に入りそうである。もし脇で高校生が聞いていたら、受験希望者を一人失うことになる。
 ご安心あれ、実際の説明は、賢明な大学院生にお願いして、順調である。
09.10.31

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切手のこと、知ってる?

 昨年12月国連は、エチオピアが提案の「2011年を国際化学年(IYC2011)と制定する決議」を採択した(http://www.chemistry2011.org/)。「化学の成果とその人間生活の向上への貢献を記念する」らしい。「世界中の人にもっと化学を理解してもらうこと、若い世代がもっと化学に興味を持てる様に促すこと、化学の創造的未来への意気込みを高めること」をゴールにしている。2011年はキュリー夫人のノーベル化学賞受賞100周年でもある。
 そこでアメリカ化学会は、化学をテーマとする記念切手の発行を米国郵政公社に働きかけることにした。同様の働きかけは年間50000件くらいあって、そのうち25件しか採用されない。そこで、多くの人の「記念切手を発行して欲し〜い」という嘆願をインターネットや郵便で募集中である(www.acs.org/iyc2011)。締切が11月1日である。皆さん思い切って、切手の企画に参加しませんか。
 「日本化学会にも働きかけてみよう」と考え、ホームページを見た。10月30日(金)は、慰安旅行でお休みとあった。
09.10.30

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水中で亜鉛反応剤をつくる

 リチウム、マグネシウム、亜鉛などの金属と炭素との結合を持つ化合物を水の中で扱うことはできない。水とも反応するからである。ましてやそれを水中でつくろうとは通常は考えない。Lipshutz(カリフォルニア大学、サンタバーバラ)グループはこの通常は考えないことを実現した[1]。非イオン性界面活性剤を溶かした水を、亜鉛粉末とPd触媒に加える。そこへジアミン、水に溶けないハロゲン化アリール、ハロゲン化アルキルを加える。界面活性剤はミセルを形成し、水に溶けない成分はそこに入る。このミセル、見せることはできない。で中では亜鉛がナノミセルとぶつかり、亜鉛とハロゲン化アルキルとが反応し始め、アルキル亜鉛が生成、いわゆるPd触媒によるクロスカップリング反応が進む。ミセルのお蔭で、亜鉛反応剤は、水とは、会えんらしい。

[1] Chemicals & Engineering News, 2009, Oct. 26, p. 6.
09.10.28

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ガソリンの価格って、破格?

 125円/1リットル、おおよそのガソリン価格である。おそらく水よりも安い。しかもこの価格のうち、2.21円が輸入の際の税金、53.8円の国税(25.1円は暫定税率[1])でかつ、消費税も含まれている。いわゆる二重課税である。一方で原油価格は、80ドル/1バレルくらいである。このバレルは樽を意味し1バレルが159リットル。原油は樽に隠していたのか、今ではそれでも「ばれる」。で原油は、概ね50円/1リットル、なので、ガソリン1リットルあたりから税金、原価を引いた額はだいたい13円となる。サウジアラビアで掘り出されて、タンカーで運ばれる。岐阜ではタンカーにお目にかかれないが、マラッカ海峡などに行けばこんなに、い「たんか〜」と思ってしまう。ついで原油からガソリン成分も取り出され、石油タンクローリーでガソリンスタンドに運ばれる。機材やこれに関わる人たちの経費、エネゴリ君の登場する宣伝費などが、この13円/1リットルでまかなわれる。これでは商売にならないのではと思ってしまうが、ガソリンの2009年度予測需要量がおよそ600億リットル[1]という桁外れの数字がビジネスを起動させている。

[1]暫定税率を廃止すると約2兆円の税収が消えると言われている。それは600億X25.1円 + 350億(軽油の予測需要量)X15円(軽油の暫定税率)= 2兆310億円で計算される。
09.10.27

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ボールペンのお話

 油性ボールペンでは、重力とボールの回転がインキを出させる、一方水性ボールペンは、毛細管現象を利用している[1]。ペン先の小さいものは、わずか0.18 mm。そこに高い技が集約されている。まさに先端技術である。我が国では1948年に最初のボールペンが発売され、それから70年あまりがたつらしい。国際会議などでは大抵ボールペンが参加登録費に含まれる。海外でいただいて日本で使おうとしたら、インキがどばっと出てしまったり、急にインキが出なくなったりしたこともある。ポールペンは、使われる地域の湿気なども考慮して成分が考えられていると聞いたこともある。
 その後、「ハイブリッド」という油性、水性ボールペンの長所を組み合わせたゲルインキボールペンが登場、しかもスケルトンタイプ、いわゆる「透けとるん」で中身が見える。さらに進化して、紙だけではなくて、プラスティックやガラスにも書くことができるボールペンも登場する。また専用のゴムでこすると消すことができるボールペンも開発された。このインキ、室温では、中に含まれる二つの化合物が分子レベルで相互作用して色が見えるが、65℃以上になるとこの相互作用が阻害されて色が消えるという。専用のゴムは、摩擦熱を出すために使う。これを早速買った、学生さんの推薦書を書くために。しかるに「証書類・宛名書きには使用できません」とあった。テストの採点にも使えんか
 インキの話を、陽気にしてみました。読んでいただいて、おおきに

[1]「進化するボールペン」化学と工業, 2009, 10月号, p. 1065.
09.10.26

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やっと出会ったら、angelだった

 ショーン・ペン主演の「リチャード・ニクソンの暗殺を企てた男」という映画を見ていた。なんとなく見ていて10分ほどたった時、「これだ〜」と何度もそのシーンに戻した。映像を見たわけではない。カーラジオから流れるそ曲である。映画が終わって挿入歌のタイトルを調べて、YouTubeで聴く。
 遡って大学院生の頃、この曲をコマーシャルかなにかで耳にして、全曲を聴きたいと思っていたが、英語が全く聞き取れない。研究室の後輩の前で口ずさんで、「この曲知っているか?」と聞いた。「村井さんそれは、トム・ジョーンズのHotter and dryという曲ですよ。すごくはやってて・・・テープ貸してあげますよ」と言ってくれた。女性歌手の様な気がしたが、ともかく借りた。見事にはずれであったが、後輩から「どうでしたか」と言われた時には、トム・ジョーンズファンのふりをしていた。
 それから30年弱も、脳の底にひっかかっていたものが開いた。題名は「Angel of the morning」で、色々調べるとその頃、スウェーデン語版もあったらしい。「聞き取れるはずもない」ということにしておきましょう。ちなみに歌の主題は「後朝」[1]だったとは

[1] 男女が共寝をして過ごした翌朝。また、その朝の別れのことも意味する。
09.10.25

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卒業生に雑誌で再会した

 様々な雑誌、とはいっても少年ジャンプとかはないけれど、が毎月あるいは毎週手元に届く。読み切ることはできない。パラパラとめくっては化学式を見て、「今すぐ読む分」「のちのちのために」「講義ネタ」と分類をする。そんな中今週、本学応用化学専攻、応用精密化学専攻を修了された卒業生3名の論文や記事あわせて三つ[1]–[3]に出会った。同じ週に出会えるとは刺激的である。彼らはすべて学部3年生の頃、この工学部2階の学生実験室で、パラブロモアニソールの合成実験をし、減圧蒸留装置を組み立てるためにサイズの合うゴム栓を捜す苦労をともにした学生である。
 それから10〜20年後、化学のどこかで繋がっていること、自分を超えたところで活躍していることが、雑誌を通して伝えられる。得も言えないうれしさ[4]である。

 で異なる点から:大学では今、学生の学力向上を講義の成績で判定しようと「厳格な成績評価」や「学習成果の基準」などと短期的・限定的な視点の勢いが強い。なぜかといえば「しっかり教育したことを示す証拠を出しなさい」と言われてしまうと萎縮してしまって、そこに陥ってしまう。だがそれはあくまで、大学のほんの一部に過ぎない。そこで「本学科は、学生の成長・成熟の過程を、時にはのほほんと支援します。」と言ってみてはどうか。で「証拠は?」に対しては「卒業後しばらくすれば、こうして専門分野で在籍教員を超える活躍をし、専門の雑誌に寄稿している卒業生」を輩出していますと答え、なかには「この学生はまあ、成績はともかく今後に期待しましょうや」で取組む包容力を学科の特徴とする。そんな形もあってもいいと思う。

[1] J. Am. Chem. Soc., 2009, 131, 13566.
[2] 有機合成化学協会誌, 2009, 67, 992.
[3] 化学, 2009, 64, 72 (化学同人).
[4]これでは気持ちを表現しきれていないが、言葉にできる日本語を自分は知らない、そんな気持ちである。
09.10.24

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名鉄に乗って愛知県西部に出向いた

 初めての路線である。田舎でもなく都会でもない日本の情景が続く。ぼーっとしていて降りるべき駅が過ぎてしまった。急行なので次の停車駅までが、やたら長いと感じる。降りた駅の時刻表を食い入るように見る。なんとか間に合って西部についた。セーフ
 高校では、模擬授業と位置づけられていた。10名ほどの先生方が来られていた。まず高校の先生から、今回の主旨、高校の特徴についてお話を聞く。この授業は、「先生方の学問領域、大学の授業の雰囲気、将来展望」に生徒が触れる機会にしたい、これも参考に学生が進路を決めると思います。とのこと。「そこまでのご期待には沿えません。ごめんなさい。」と思いながら教室に出向く。25名の生徒さん、礼儀正しく静かに熱心に聞いている。ついつい深いところまで話してしまう。時間配分が難しい。分子模型をつくってなんとか、2-ブタノールまでたどり着いた。がしまった、皆さんがつくったものは、R体かS体かを聞くのを忘れた。いつもこの光学収率が楽しみであるのに、一家に一枚の周期表を配る。これはいつも大好評である。
 講義終了後、廊下ですれちがう高校生が挨拶をしてくれる。さわやかなティーンエイジャー、これがええじゃー
09.10.23

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「日本語が亡びる時」

 小林秀雄生誕100年を記念して創設された学術賞に、「日本語が亡びる時」が選ばれた [1]。著者水村美苗さんは、12歳の時家族で渡米されたが、英語にはなじめず、アメリカの大学院ではフランス語を専攻された。その頃日本からの荷物の中に「現代日本文学全集」があった。それを読み耽り、日本語の深さを体感されたようである。
 で話は昨年末、本学の今後について「英語を本学の公用語に」という部分があった。「まさか」、1945年日本が無条件降伏をした後、しばらく我が国にいたGHQ[2]でもしなかったことをなぜ提案されるのか。「こりゃいかん」一大事であると直感した。洋式便所を増やしては「蹲踞(そんきょ)」の大切さを学び、足腰を鍛える場を奪い、この上日本語までも奪ってしまうのか。そこで水村さんの著書の一節を引用させていただいて、本学の執行部にお送りした。
 著書にもどる。そこには著者の思いが切々と訴えられる上に、「もしも」も想像させた。江戸城無血開城、昨年の大河ドラマ篤姫[3]の頃だね、江戸幕府軍対倒幕軍が江戸で戦火を交えれば、戦争の混乱に乗じて、西洋列強が日本を支配し、英語の国になったかも、
 う〜、そしたらダジャレ使えんやんか、それこそシャレにならん
 
[1]「考える人」2009年秋号、p. 81.
[2]GHQの目的は、ポツダム宣言の執行だったので、英語公用語化は、なかったのかもしれない。ただ水村さんの書によれば当時、「志賀直哉はフランス語採用論を述べ、国語審議会では、日本語をローマ字表記にする方法が議論されるようになった。」[4]とある。
[3]で話飛んで、金ナノ粒子のブログをみて、日本にも「EUREKA(ユリイカ)」という映画(2000年制作)がありますよ、と教えていただいた。そこにも宮崎あおいさんが出演されていて「この子は大物になるな。」と予感されたそうである。
[4]Wikipediaの「ローマ字論」では、日本語は使う字数が多く、これが民主化の妨げになると考えられていて、ローマ字表記の議論が始まったらしい。それでも日本人の識字率の高さゆえに、実行されなかったとある。
09.10.22

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Teton(語源はteatかな)にフッ素化学者が会した

 グランドテトン国立公園でフッ素化学とフッ素技術の合同シンポジウムが開催された。8月末のロッキー山脈での会議である。忙しくて学会会場にいる間もなかったに違いない。一方でシンポジウムは、無機から有機、生化学と、幅広い分野の話題で大いに活気あるものであったことが、「華麗なるフッ素」[1]として紹介されている。主催者は、参加者に新たな気分になってもらい、斬新なアイデアとたくさんの思い出をもって帰って欲しいと願っていたらしい。有機化学分野では、安定で取扱い容易なフッ素化剤Fluoled(ArSF3)の話と、フッ素化ポリエーテル中での反応—たとえばこれにアルケンと臭素を混ぜると始めは三相だったのが、反応が進むにつれて、二相になり、片方の相が生成物という系—が取り上げられている。Phase-vanishing reaction(相が減っていく反応)と名付けられている。あっそう なおこの系を開発された柳先生(大阪府立大学)がここで2009ISoFT Awardを受賞された。おめでとうございます。
 バンケットではデュポンのGreenさんが、「1930年代のテフロンの発見[2]から随分たったが、フッ素化学は新時代を迎えようともしている。たとえば世界的人口増加とライフスタイルの変化に伴って、太陽電池やバッテリ—から絶縁材や冷媒などの用途で」と述べられたそうである。
 目新しいことばかりである。フッ素についての知識が、フッソク(不足)していた。

[1] Chemical & Engineering News, Oct. 12, 2009, p. 45. “FLUORINE WITH A FLOURISH”を訳してみました。
[2]「ある日、テトラフルオロエチレンのボンベからガスが出なくなってしまった。おかしいと思ったデュポンの技術者は、このボンベを切断したことが、テフロンの発見につながった。」と聞いたことがある。
09.10.21

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イオウ、セレン、テルルが裸になっちゃった

 1944年頃、カルベン研究は、ディズニーも刺激し、ドナルドダックもカルベン発生の実験をやっている。「カルベンなんて、わかるべん」と言ったかどうかは定かではない。
 そのカルベンは、炭素原子が他の原子と結合を二本つくり、形式上炭素原子の最外殻は六電子、ろくでもある状態である。なので炭素原子は、孤立電子対と空の軌道がある。あるいは二つの軌道が一つずつ電子を分け合う。同様の化学種を他の元素でも考えることができる。B,N,O,Fそれぞれに結合を二本ずつ書く。その次に、–, +, 2+, 3+と書けば、炭素といわゆる等電子構造になる。
 実際にそんな化学種を発生させようと研究をしていたらしいカナダのRagognaチームは、そこから発展して、S, Se, Teの2+種を三座配位子で捕まえて、化合物単離し、その構造をX線で明らかにした。著者自身は「今のところワクワクする化学とまではいかないが」とコメントしている。このpure chemistryが、NEWS of THE WEEKに掲載されている[1]。たしかに配位様式は初めてお目にかかるし、Naked ion(裸のイオン)かもしれない。それをC&E Newsが取り上げた。ここにアメリカ化学の懐の深さと、戦略を感じてしまう。

[1] Chemical & Engineering News, Oct. 12, 2009, p. 12.
09.10.20

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シーリング材が、ホワイトクリームに

 建築工事の際に、タイル、コンクリートの間を埋める材料をシーリング材という。シリコーン樹脂が主力である。これを手絞りで出すことができる特殊なパッケージを開発したメーカーに、おもちゃ屋さんが訪ねてきた。メーカーの方は当初、おもちゃ屋さんの企画を聞いてもよくわからなかった。「シリコーン樹脂をお菓子のホワイトクリームにする?」。始めは「こわいと」思ったかどうかわからないが、おもちゃである。このメーカーの開発した手絞り方式で、チューブの先に、たとえば星の形をした絞り口をつける。他の化学メーカーが製造した素材で、チョコレートベースやトッピング用の果物などをそろえる。これらを一緒にして、新しいおもちゃ「デコッティ」が誕生した。
 シーリング材メーカーの社長さんは、このおもちゃ屋さんの担当の方の「発想、展開、統合、販売」の力を高く評価されていた。確かに「おもちゃで、本物のお菓子づくりを体験」という発想だけでは実現しない。子供たちの購買欲を起動させるための戦略も必要[1]だし、安全性も見据えた素材を発掘することも鍵である。
 発売一年目、「デコッティ」向けシリコーン樹脂は、会社の売上げを押し上げたそうだが、そのブームは一年だけであった。皆さんシリコーン樹脂を建材屋さんで買う様になったらしい。それでも今回の成功は「自社製品の用途を斬新な目で、みてみよう」という雰囲気をもたらした。
 ちなみにデコは、「でこっぱち」のデコじゃなくて、きっとデコレーションだよね。

[1] 「お客様のニーズに答える」ということはよく言われるが、一方でニーズなど全くない商品も多い。おもちゃはその典型である。世に出て初めて「欲しいもの」になる。しばらくして売れだすと、二番煎じが横行し始めるが、そこはたいていの場合、薄利である。また今回のおもちゃは成功例であるが、この何十倍以上もの発想や商品が日の目を見ずに消える。だからこそ小さな成功でも体験できたときの達成感は大きい。
09.10.18

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金ナノ粒子、そうナノ

「金は最も高貴な元素で、財政、美術、宝石の世界でも主役である。」で始まる今月のin your element [1]。一方で金は、不変、不朽なので、化学反応性についてはだれも期待していなかった。ところが1980代の二つの発見で、状況が一変した。二つ目は筆者であるGraham Hutchings—レッドドラゴンが州旗の英国ウェールズ州、カーディフに今は在住のはず−が1982年南アフリカで、アセチレンに塩化水素の付加を検討していた時に、様々な金属の反応性と電極電位とをプロットして、「金だと」ピ〜ンときたこと[2]。
 で記事では一つ目に、春田正毅先生(現在首都大学東京)が、大阪工業試験所に在籍されていた1982年頃発見された、酸化物に担持した金ナノ粒子を使った一酸化炭素の二酸化炭素への酸化反応、-76°Cでも進行するこの系を紹介している。金ナノ粒子のその後の展開の最初の第一歩であったと。春田先生は、岐阜県出身でドラゴンズファンだそうである[3]。
 なお当時は、2-5 nm(ナノメートル)の金ナノ粒子が活性種であると考えられていたが、更に小さい5-7つの金原子のクラスターが活性であるらしい。
 また記事の最後は、元素のシンデレラであった金が、chemical reactivity ball(化学反応の宝庫?)になったとある。

[1] Nature Chemistry, 2009, 1, 584.
[2] This was the ‘eureka’ moment.と記事にはある。eureka(ユリーカ)は「分かった」と言う意味のギリシャ語らしいが、Eureka(1983年)という題名の映画がある。15年間かけて金の山を発見して英雄 (Au) になるが、様々なことに巻き込まれて歯車が狂っていく探鉱者の話である。
[3]月刊化学、著者情報から
09.10.17

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キャンパスに香る金木犀、ここにも青葉アルコールか

 後学期が始まって2週間、学生たちのにぎやかな声、なかには厳かな授業風景、この時節、そこはかとなく香る「キンモクセイ」が、履修届や履修一覧を思い出させていた。今はWebになってしまった。
 幼少の頃は、近くの野原いっぱいに植わっていた。臭いはじめると、日暮れが早くなり、家路を急がせた記憶もある。その頃からか、トイレの消臭剤の主役にもなった。強い臭いを打ち消すためであったそうだが、今ではほとんどない。
 Wikipediaには主成分がβ-イオノン、リナロール、γ-デカラクトン、リナロールオキシド、cis-3-ヘキセノールなどであると記載されていた。植物成分の多彩さにいつも圧倒される。
 この中でcis-3-ヘキセノールは、のちに京都大学化学研究所所長も歴任された武居三吉先生が1930年頃、京都帝国大学農学部に赴任された当時に初めて、お茶から抽出し、青葉アルコールと名付けられた。当時一番茶1861 kgから138 gを得たらしい[1]。予備実験を含めると5トンを優に超える一番茶が使われたらしいと書かれている。トンでもある話か
 香水成分としても使われ、年間50トン程度生産されているらしい。いまでは化学合成である。始めの合成は、アセチレン、臭化エチル、エチレンオキシドに水素で達成されたらしい[1]。

 改めてキャンパスを散策して「かおり」に思いを馳せて、言祝いでいる。

[1]畑中顯和著「みどりの香り」丸善(株)p. 13。
09.10.15

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1964年10月

 「秋空晴れて菊薫る」で始まる運動会の歌。児童数が多い小学校の運動会、午前は1,3,5年生、午後は2,4,6年生、午前は、白組が勝ったみたいな話をしていた。同じ年、夢の超特急から夢がはずれた、東京−新大阪4時間。

 その1964年、東京オリンピック、体操の遠藤幸雄さんのことをNHKラジオが特集していた。当時27歳、結果として体操男子個人総合金メダルを日本で初めて獲得できた。がしかし大会の日、奥様は会場にも行けず、テレビも見ることができなかったそうである。遠藤さんも家族も、使命感と有責感を一身に背負っておられたことが痛いほど伝わる。加えて自分を育ててくれた秋田の方々へも恩返しをしたいという強い気持ち、その遠藤選手、最後の種目、あん馬で失敗をする[1]。それでも、金メダルを獲得できた。同じとき銀メダルを獲得した鶴見修治さんのコメント、「遠藤さんは、失敗してしまった情けない気持ちの金メダルであったかもしれない」とのことである。

[1] ほんとはここで「あん馬のあんばいが悪くて」と入れたかったけど、話がそれを退けた。
09.10.13

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科研費、書けへんひ〜

 科学研究費の申請の時期である。この研究費の詳細は、Wikipediaにもある。原資は税金で、それを配分する。いわゆるpeer review(仲間内の審査)方式である。化学ならばそれを専門とする公的機関に属する方が審査員である。文系の方が化学の申請書を読むことはないし、文部科学省や政治家の方が審査に関わることは基本的にない。そんな制度がある国ってすごい。
 とはいえ、申請書を作成しなくてはいけない。ときに「「おかあちゃんパンツやぶれた、またか」が起こりえない素材開発を・・・」と書いて挑戦しようかとも思うが、これはハイリスクである。
 まずは思いついたことをネタ帳にメモし、文献も確かめ、荒削りの提案をワードに打ち込む。・・・次の日、それをシャッフルして、なんとか仕上げようとするが、毎日、毎日もがいている。これから始めることを思い描いて書かなくてはいけない。自分の頭から飛び出したものなので、自分でも「人間が考えたことなんて・・・」とも思っている。だんだんと深みに入り込んでいる。気がついたら月が二つある「あっちの世界」にいるかもしれない。

 それでも天吾君のように、「・・・余計だと思える部分を更に削り、言い足りないと感じるところを更に書き足し、まわりに馴染まない部分を納得がいくまで書き直した。」[1]でありたいと自分を激励する。たとえ年上の不倫相手がいなくても

[1]村上春樹著「1Q84」第6章
09.10.10

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有機工業化学の始まり、始まり

 化学工業は、資源、原料、製品、回収・・・でという講義をする。一方で「ニーズのある製品をつくる」必要があると思うかもしれないけれど、実はニーズなど始めからあるものではない。ニーズはつくられるもの、もっと言えば最初の人がいて、しかける。普通は、回りの人間は「そんなもん無理や」と冷ややかである。が一旦世に出ると、よってたかって二番煎じが出る。
 生活の中で「不便やなあ」「こんなことできたらいいなあ」と思い続けているとそれに出会うかもしれない、そのイメージを化学に翻訳できたら、製品開発につながる。ということも伝えたかったが結果はいかに、
 めずらしい例として、20世紀始めの、食料不足から、窒素資源供給が社会的課題、ニーズとなり、ハーバー・ボッシュー法が誕生した。触媒探索と高圧技術が進歩したが数十年の歳月を要した。最後決め手は、ミタシュさんが条件を「みたす」ために、何千回、いや数万回かもしれない、実験を繰り返し、二重促進鉄触媒にたどり着いた。 などを紹介。
 次の日、学生さんにエレベーターで会った。「ミタッシュがみたす」んですよねえ。と言ってくれた。
09.10.9

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元素のお庭

 花をモチーフに、元素の庭が出来上がった。ヴァージニア州Greater Reston Arts Centerにある。横に広がる白い花びらが元素の軌道のパターンに、縦に伸びる茎は電子の数に相当する。83元素のこれらの白い花が螺旋状に並べられている[1]。
 作者は二年前、チリ、サンチアゴのワークショップの後、家に戻ったときに元素周期表のイメージが浮かんだ。高校時代の化学のイメージはそれほどでもなかったのに、なぜそれが浮かんだのかを考えた、で自分は元素周期表を伝達手段などとして、魅力的なものを創作する課題をもらったのだと感じた。インド、ブータンにも旅し、他の国の元素の描写を探求、錬金術の本も精査した。周期表を、科学者、哲学者、芸術家がどう描いているのかも調べ上げた。ついにそれが元素のs,p,d,f軌道を花みたいに表現した三次元の仏塔のような「元素の花(Atom Flowers)」になった。
 「divining nature elemental garden 」とYouTubeで検索すれば、作者のアイデアが聞ける。彼女の名はRebecca Kamen、YouTubeの関連動画には、仮面ライダーダブル初変身もあった。
[1] Chemical & Engineering News, October 5, 2009, p. 43.
[2] Elemental Garden をGoogle検索すると、音楽制作ブランドやゲーム攻略サイトが登場した。検索のときには、divining natureも忘れずに、ただこの日本語訳「自然を探索」みたいなのか、悩ましい。
09.10.7

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ルイス先生の生涯、類推してみよう

 Gilbert N, Lewis (1875-1946)、大学院の講義で紹介する。1916年、共有結合について「原子と分子」という論文で発表、ルイス点構造、オクテット則、ルイス酸・塩基の理論などを研究された先生。
 ハーバード大学で学位取得後、ドイツ、ライプツィヒでオストヴァルド(化学の学校を書いた先生ね)に、ゲッティンゲンでネルンストのもとで学ぶ。ここに落とし穴があったらしい。その後いくつかの場所を経て、1912にカリフォルニア大学、バークレー校に落ち着く。
 他の業績:液体窒素中の酸素の溶液の磁気特性を研究しO4分子を発見;初めて高純度な重水を得た;化学熱力学を再構築;光化学にて光子[1]という用語を提唱;有機化合物のリン光発光は三重項励起状態を経由、など輝かしい。
 35回もノーベル化学賞にノミネートされたが、受賞を待たず70歳の生涯を閉じる。でドイツ留学時代にもどる。そこでネルンスト先生とは、生涯にわたる確執ができてしまったらしい。その先生の友人の一人がノーベル化学賞委員会のメンバーで、ルイス先生が候補にあがるごとに、否定的な意見を書いていたらしい。
さらに詳しくは、原文(英語版WikipediaでGilbert N. Lewisと検索)を見てね。

[1]ここでは「みつこ」と読んではいけない。「こうし」だよ、中国の思想家とは違うけど。
09.10.5

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グーグルマップで、頭もぐ〜るぐる

 ThiemeがAuthor Mapを作成した。Science of Syntheses の著者の居場所を地図に示している。世界のそれぞれの地域をクリックする。と著者数が出て、さらにクリックすると著者の所属、名前、担当した章などがでる。責任編集者名はここにはない。何のためにつくったかわからないがしばらく遊ぶ。北海道を除く日本から107名の著者、煩悩の数に一人たりないなあ。北海道から5名で、あわせて112名、現在名前のついた元素の数と同じか。
 航空写真を見ながら岐阜までたどりつく。矢印は、なんだか緑濃い地域を示していた。そこは郡上であった。ヨーロッパからみたら誤差なのであろう。世界を再び眺める。アイスランドの先生もおられる。あの金融危機で話題になっちゃった国である。その国のコインにもデザインされているカラフトシシャモの日本は輸入国であるらしい。インド、イランの先生方の表示場所は、パキスタンであった。幸いモザイクの入った先生方の名前はない様子。
 ちなみに地図は日本語表示である。英語圏なら英語表示、イランならペルシャ語で、インドならヒンディー語かな?
09.10.4

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反応理論、ターンスタイル回転機構もUgi先生

 研究室の雑誌会でUgi 多成分連結反応を紹介してもらった。
 でUgi先生の紹介[1]:1930年エストニア[2]生、1949–1952ドイツ、チュービンゲン大学で数学と化学を学ぶ。その後、ミュンヘンの大学で学位、habilitation [2]も取得。その頃、Ugi四成分連結反応を発表。コンビナトリアル化学のさきがけとなる。
 数学者とともに化学反応に関する理論を提唱、非経験的な選択則で未知の反応の発見を楽しんた。
 立体化学における群論から、五配位リン化合物の異性化機構「ベリー擬回転機構(BPR)」に対して、別の機構「ターンスタイル回転機構(TR)」を提案し、理論的にも実験的にもかなりの時間を費やした。ちなみに実際BPRとTRの区別ができる実験系は難しい。ごく最近、広島大、山本先生らは、Sb化合物を使って、BPRを引き起こさない系を設計、TRが起こることを実験的にも、見事に示された[2]。
 Ugi先生にもどる。記事には、「彼は、流れに逆らって泳がない、だが流れを横切って泳ぐ。」ともある。同じ時代を過ごされた方には、ウギ先生との時間、「有意義」以上であったにちがいない。ウナギを一緒に食したかはわからない。

[1] Angew. Chem. Int. Ed. 2006, 45, 193から
[2] エストニアを1940年ソビエトが占領、1941-1944ナチス・ドイツが占領。Ugi家は1941年にドイツに移動したが、10歳の頃に、自分の生まれた国が他の国になるってどんな思いなのか、想像してみたい。
[3]ドイツでは学位取得後、研究室の助手として、独立した研究テーマを推進、その成果が認められると「教授になる資格」(habilitation)を獲得する。
[4] Matsukawa, S.; Yamamichi, H.; Yamamoto Y.; Ando, K. J. Am. Chem. Soc., 2009, 131, 3418. ちなみにAndo, K.は本学、安藤香織先生である。

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ガイダンス 以外だんす

 9月30日、後学期前の学年ごとのガイダンスである。3年生のガイダンスで資料を配る。その後、担当の先生が後学期の履修に関する説明をする。なんだか静かに聞いている。しかも概ね目つきがいい[1]。やっと「授業が受けれるぞ」と思っていると思いたいが、多分これは幻想。その後、成績配布になると、やんちゃになった。
 午後、2年生のガイダンス。担任ということで成績を配る。自分の成績を見て、一喜一優している様子、友達に見せたりしている学生もいる。のんびりした雰囲気。「ノルウェイの森」[2]の僕ワタナベ君や直子の年頃である。甘くて切なくて、あいまいで孤独な感じ、ひと夏の経験が人を変えるのか。そういえば、その年、車で北海道を一周した。
 研究室では、彼らの先輩たちが実験に取組んでいる。期待通りの結果か、いや予想外、どちらもその次にどうするか、どう考えるかも大切
 このそれぞれの学齢の、それぞれの成長度、成熟度
 学生時代にやってみたいと思うことを体験して、感性を、もっと、もっと磨いて、身体じゅうで体感・吸収していってほしい。

[1]「概ね」がポイント、中には・・・と続く。
[2]皆さんご存知の村上春樹さんの小説。日本で1000万部以上、中国でも100万部以上、36カ国語に翻訳されているとのこと、ノーベル文学賞の発表日が、Nobelprize.orgでは?になっているが、今年もドキドキである。
09.10.1

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