« 1817年8月 | トップページ | 窒化ホウ素(BN) は »

親戚が集まった

 短期記憶はうつろだけど、乳児・幼児には反応する。四段重ねの重箱、洋風二段重ねには、趣向を凝らしたシュコラを初め26品目が盛られる。ただし料理品と名前の照合が難しい。加えてお寿司、お吸い物、ビールに山崎をいただく。ヤングの計らいで大阪南から北まで10人が車で移動。谷町筋から新御堂筋。ここでも大勢が集まる。コップに半分だけとビールをお注ぎする。しばらくして再び半分という。年の差95あまりなるも0歳児二人を抱える。どちらの場も屈託のない一歳児が主役。集いの後、新御堂筋を南へ、梅田新道で降りる。その流れで大江橋から御堂筋。竣工当時「こんな広い道路を作ってどうするんや」と言われたという話を聞いた。それが大阪万博の頃には南向き一方通行になった。通常は相当な混雑のこの筋、この日はほどほどに流れた。両側に普段は見ねえでしょんの見事なイルミネーション、ブルーからグリーン、ピンク、イエロー、淀屋橋、本町から心斎橋。あでやかな中、これら御堂筋の発光源は未同定のまま、車は難波を通過した。

17.1.3

|

« 1817年8月 | トップページ | 窒化ホウ素(BN) は »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。