« 火星探査機キュリオシティは | トップページ | 材料の世界で »

誰かわかるかなあ

 いつも同じ問いかけ、仕掛けはない。沈黙が続く。子供は何人やったかなあ?四人!、時に三人、二人になる。子供の名前は?・・・沈黙が続く。目の前にいるのが息子。凄〜くわかりにくいらしい。お産の時にお世話になった病院は?前回は二人の子供それぞれについて即答だった。今回は、「二人同じところやったんかなあ?」と言う。小さい頃はどこにいた?淡路島のある村を答える。いつもほとんど即答である。行った小学校の名前は?OK。中学校は?記憶の外。高校の名前はOK。生まれ育った家の写真を見てもらう。あ〜あなあと、牛舎の近くであることを認識。村井君もいずれその境地に入る高齢者の頭の中には、記憶の堆積層と流動層があるのではないかと思った。堆積層にある記憶は言葉としてするりと飛び出すものの、流動的とりわけ最新の情報の流れは速いらしい。記憶として止まらない。加えて堆積層も少しずつ流動化していく。何度か子供の名前を喋る練習をした。帰りがけ、これ誰や、とりあえず堆積していたので、退席させてもらった。次も同じ写真に、ほとんど同じ会話。以外と愉快やわ、かもしれない。

19.3.3

|

« 火星探査機キュリオシティは | トップページ | 材料の世界で »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。